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エコサンテ関係者ブログ
マリマリからの発信 姪たちとハワイに行って来ました。
2019-04-04
夢国籍庶民料理&オーガニック料理「ルチュ」を営んでいるマリマリです。過日、姪たちと常夏の島・ハワイに行って来ました。8泊10日の旅です。
成田空港からハワイアンエアラインに乗ってハワイオアフ島のダニエル・K・イノウエ国際空港(旧名称・ホノルル国際空港)へ。
右の写真はオアフ島間近の頃の日の出の様子です。とても綺麗でした。日本とハワイの時差は19時間です。日本が19時間進んでいます。
成田空港21時の便で出発し、ダニエル・K・イノウエ国際空港に8時50分(ハワイ時間)に到着。往路の飛行時間6時間50分でした。
空港から宿泊先のヒルトン・ハワイアン・ビレッジまでタクシーで移動し、ホテルに荷物を預けてから、近所でチェックインまでのんびり過ごしました。
ホテルの前には、安全・設備・利便などが総合的に高く評価され、2014年全米ベストビーチNo.1に輝いた『デューク・カハナモクビーチ』があります。下の写真はヒルトン・ハワイアン・ビレッジのシンボル・オブジェです。
ハワイの妖精「メネフネ」
右の写真はヒルトン ハワイアン ビレッジのガーデンにあるオブジェ。彫刻 カミーユ作「メネフネ・キング」
メネフネとは、ハワイ諸島に住んでいたといわれる伝説上の小人族。“妖精”とも言われ、長年にわたり愛され続けています。
メネフネたちは昼間寝て、夜働くという習性を持っていたとのことです。とにかく、ハワイの伝説では欠かせない存在なのです。そんなメネフネには、当然不思議な力があったみたいです。
中でも凄いのが、虹を作った伝説。ハワイは雨が降っても虹がかかることがなく、グレーの空が存在しているだけだったようです。
そんなとき「虹を作ろう!」と言ったのがメネフネだったと・・・。
そしてなんと、メネフネたちが虹も作っちゃったとのこと。(え~、すご~い!)♥
下の写真はデューク・カハナモクビーチの写真とホテルの部屋からの写真など。夕陽も本当に綺麗で、素晴らしかったです。ハイビスカスの花も綺麗でした。ハワイでハイビスカスは”神様へ捧げる花”とされていて、黄色のハイビスカスはハワイ州の州花になっています。
ハイビスカスの花言葉は、「上品な美しさ」、「繊細な美」、「新しい美」、「信頼」ですって。(うんうん)
ホテルの部屋からの景色
右の写真、拡大してご覧ください。美しい景色がご覧いただけます。海育ちの私ですが、ハワイの海はいつみても本当に美しいな~と感じます。
写真の中央ライン(ベランダの柵)にはハトが綺麗な間隔で留まっています。あまりにも綺麗な間隔で留まっているのでフェイクかと思われるかもしれませんが、これは本当に本物なのです。
毎日ハトがやってきては、同じ方向を向き休憩していたので、もう可愛くて可愛くて・・・。
姪たちとニコニコしながら眺めていました。
ハワイお決まりのハンドサインと言ったら・・・ Shaka「シャカ」
ハワイで写真に写るときのお決まりハンドサイン。親指と小指を立てるポーズ「シャカ」。ハワイでは、keiki (子供) から kupuna (お年寄り) まで、誰もがシャカを使って友情、感謝、親善、激励、結束を表現します。
ドルフィンツアーとKCCファーマーズマーケットと朝ヨガ
イルカ大学スクールバスに乗って(下の写真①)、ドルフィンツアー(名門イルカ大学コース)下の写真②。クルージングとシュノーケリングを楽しみました。イルカちゃんとも泳いで来ました。
土曜日にやっているKCCファーマーズマーケットにも行ってきました。下の写真③④。そして健康のため朝ヨガにも参加しゃいました。早朝の月も綺麗でした。
ハワイから帰国、ホテル日航成田で一泊
ハワイからの帰路飛行時間は約9時間半でした。往路は6時間50分でしたから、3時間近くの長い飛行時間となりました。
ハワイへは何度も行っているので、何故かな~と調べましたら、これは偏西風/ジェット気流が原因のようです。
日本から東へ(ハワイ)行くときには其の流れに乗り加速されて早くなり、逆にハワイから西へ(日本)行くときはそれに逆らうので遅くなるとのこと。(うんうん、理解できた)
帰国したその日は成田のホテル日航成田に泊まりました(ふぅ~)。写真は翌朝の成田空港の様子です。早朝から成田空港は活気がありました。
地元に帰ると桜が見ごろになっていたので、何だかショートカットにしたくなり美容室へ。健康体になった私は、今ではなんと美容室は東京の代官山まで行っているのです。マリマリのページに美容師さんとのツーショットを載せましたのでご覧ください。
こんなに元気を頂けるようになったのは、まず第一に神様のおかげ、第二に母・家族のおかげ、第三にお医者さん?エコサンテ?のおかげかな~・・・。ではまた、ごきげんよう。
丹羽からの発信 お休みをいただきサンフランシスコに行って来ました。
2019-03-25
ミージュ―マーマ丹羽です。
お休みをいただきサンフランシスコに行って来ました。
坂、坂、坂の町ですが、今はグーグルマップで坂があるかないかもわかるんですね。
バスの乗り方もグーグルを見ればすぐわかるし初めての土地でもそんなに迷う事なく5泊してきました。
今回はマイルでビジネスクラス。機内食は前菜だけいただき、あとはいつも必ず持ち込むのが果物。他の物はいつも食べず、ひたすら、お水かペリエのみで過ごし、旅先のご飯を楽しみます。
サンフランシスコで1番美味しかったのが、ベドナム料理ですが、カニのガーリックロースト。
青パパイヤのサラダでスッキリと口直し。このムール貝は今まで食べたムール貝でダントツで美味しいので是非オススメのお店。
日本人が多いといろんなところに書いてありますが、飛行機も満席なのに、今回の5泊、ほとんど日本人は見かけなかったんです。ホテルもレストランも。
5泊もしたので、観光もしました。
ヨセミテ国立公園!これはナルニア国を思い出す情景でした。(下の写真①②)
映画でもお馴染みのゴールデンゲートブリッジ。(下の写真③)若い時から海外に重宝なのが、JALシティマップ。これに慣れてるとこれ以外は見にくくて。(下の写真④)非日常のサンフランシスコの旅。リフレッシュ出来ました。
ワンちゃんの腸活相談も承ってます、ミージュマーマの丹羽でした。ではまた。
マリマリからの発信①。水戸偕楽園で梅の花を、ひたち海浜公園で水仙の花を見てきました。
2019-03-20
こんにちは!マリマリです。私の地元・ひたちなか市も日ごと暖かさが感じられるようになってきました。桜の開花が楽しみです。
そこで先々週、桜の開花前に日本三名園の一つである偕楽園で梅の花を、そして先週、ひたち海浜公園でスイセンの花と梅の花を見に行って来ました。
偕楽園にはたくさんの梅の花が咲いていたので、園内は梅の香りで包まれていました。この梅まつり、江戸時代から続いていて今年で223回ですって。
偕楽園の梅の花
偕楽園は、水戸藩第9藩主・徳川斉昭(江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の実父)によって創設された日本庭園です。岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つとして数えられ、県外からもたくさんの方が観光に訪れます。
下の写真は、好文亭(こうぶんてい)。好文亭は、徳川斉昭自らが設計し、休憩所として建てられたもの。木造2層3階建て。文人墨客(ぶんじんぼっかく)や家臣、領内の人々を集めて、詩歌の会や慰労会を催したといわれています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されました。
偕楽園の基本的な観覧コースは、表門から入り東門から出るコースです。これは偕楽園を創設した斉昭公お勧めコースなのです。
表門から一の木戸を抜けると、孟宗竹林、大杉森、クマザサが茂る幽遠閑寂な「陰の世界」が広がります。
そしてさらにその先へ進んでいくと、好文亭(こうぶんてい)が現れ(前述した建物)、見晴らしがよく開かれた「陽の世界」を感じることができます。
斉昭公は「偕楽園記」のなかで、
「陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づき、人間もまた屈伸して身体や心の調和を図り、修養につとめよ」と書き表しています。
陰から陽へ、正しい順路で歩けば、偕楽園本来の姿を知ることができます(梅と芳香と歴史の景勝地 偕楽園HPより抜粋)。東門に向かう園路南側は眺望が良く(前述した陽の世界)、「萩」「ツツジ」「松」「左近の桜」などが植えられています。私は斉昭公お勧めの基本コースを通り、東門から出ました(写真)。
マリマリからの発信②。 ひたち海浜公園のスイセンの花と梅の花
2019-03-20
ひたち海浜公園のスイセンの花と梅の花
偕楽園に行った翌週、私のお店「ルチュ」から徒歩圏にある国営ひたち海浜公園のお花を見に行って来ました。実はこの場所、かつては東京ディズニーランド建設候補地にあがっていたのです(残念)。
まあそれはそれとして、この時期のひたち海浜公園は、スイセンと梅の花が見ごろになっています。
スイセン(水仙)の花言葉を調べてみましたら・・・「うぬぼれ」「自己愛」ですって。エ~!
花言葉の由来は?
むかしむかし、ある村に「ナルキッソス」という美少年が住んでいました。彼はその美貌から、たくさんの女性を虜にしてきましたが、女性に対する態度はとても冷たくて、自分から人を愛することはありませんでした。
ある日のこと・・・森の妖精「エコー」が彼に一目惚れをして声を掛けます。しかし相手の言葉を繰り返すことしかできない彼女は、ナルキッソスに酷いコトバで罵られ、振られてしまいます。エコーはそのショックで肉体を失ってしまい、声だけの存在になりました。復讐の女神「ネメシス」は、エコーの愛を踏みにじったナルキッソスが許せず…『人を愛せないものは自分自身でも愛していろ!』と呪いをかけたのでした。
すると、たちまち・・・ナルキッソスは泉に映った自分の姿に恋をします。彼は、恋の苦しみによって、食事はのどを通らず、夜もほとんど眠れなくなって、徐々に衰弱していきます。そして最後には…一本の白い水仙に姿を変えたのでした。それが水仙の始まりだと・・・。美少年ナルキッソスの伝説より。
自己陶酔型の人を意味する「ナルシスト」は、ナルキッソスの神話に由来し、また、こだまや反響を意味する「エコー」は、森の妖精エコーが語源となります。とありました。(うんうん)
色別の花言葉は?
黄色いスイセン(水仙)・・・「もう一度愛してほしい」「私のもとへ帰って」ですって(笑)
プーさんと奥さんからの発信。 二人で植えた河津桜。それが今では名所に!
2019-03-13
こんにちは!プーさんと奥さんです。
13年前、父を偲んで私達が植えた河津桜です(写真)。
数年後には、一条戻橋の河津桜として有名になりました。
今では毎年春になると新聞の一面に写真が載るまで知られた桜になっています。
たくさんの人達が訪れる名所に!
写真をご覧ください。マスコミ報道などもあり、今ではかなりの人達が写真を撮りに来られるようになりました。
2年前には横にもう一本、奥さんと河津桜の木を植えました。ですから毎年この時期になると、ダンス好きな奥さんとその成長のほどを気にかけながら楽しんでおります。
「一条戻橋の河津桜」と検索してみてください。たくさんの情報が出て来ますよ。
ちなみに、陰陽師であり、天文学者でもあった安倍晴明公を御祭神にお祀する晴明神社は橋のすぐ近くにあります。安倍晴明公は、天皇から貴族、そして庶民に至るまで、幅広く様々な悩みや苦しみを取り払うことで大きな信頼を得ていたとのことです。
本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれております。