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エコサンテ関係者ブログ
なっちゃんからの発信。 冬の暮らし。
2019-01-20
こんにちは!山梨のなっちゃんです。
標高1050㍍の我が家は10月から3月頃まで薪ストーブを焚いています。
毎年5月頃に、ご近所の方にお願いして薪を用意します。火を点けるのは、母の得意技です。
母曰く、細い薪も火のつけ始めには必要と、自分で薪割りもやっています。この姿を見た時には驚きました!まさか薪割りが出来るなんて!
羽鳥元久からの発信。 2019年ニューイヤー駅伝
2019-01-14
こんにちは!群馬は前橋の羽鳥元久です。
2019年1月1日(火・祝)、「第63回全日本実業団対抗駅伝」(通称・ニューイヤー駅伝 2019)が開催されました。TBS系列で全国放送されていますから、ご存知の方も多いと思います。
群馬県庁前を朝9時15分スタートです。我が家の近所が駅伝コース(3区)になっているので選手の走りを生で見て来ました。
そのスピードはテレビで見ているのとは大違いで、本当に驚かされました。
高崎からタスキを受けた選手(2区)が利根川を越えるとすぐに3区の中継ポイントになります(我が家の近所)。
左のコースマップを拡大してください。赤丸が付いてるあたりが我が家の近所で、選手は高崎駒形線(県道)の一部区間を走り、伊勢崎までの13,6Kmを走って行きます。
選手の走りは、50m走を全速力で走る中学生男子くらいのスピードがあると感じました。そんな選手の勇姿を撮りましたのでご覧ください。先導する白バイ隊も凛として格好良かったです。
駅伝は日本発祥のスポーツですが、「柔道」「空手」などの日本発祥競技と比べると、世界的には地味な競技と見られている感があります。
でも日本では駅伝が人気です。なぜなら、苦しくともただひたすらチームのために「たすき」を渡すということが、日本人精神にマッチしてるからだと・・・
イギリス人のジャーナリスト、アダーナン・フィン氏も著書「駅伝マン――日本を走ったイギリス人」(早川書房)の中で、「高度経済成長の原動力にもなった日本人の「和」を尊ぶ思想にピタッとハマった競技だからではないかと考察している。」
「駅伝チームは、すべての参加者が自分の役割を果たして勝利を得る。つまり、全員がチームのために一丸となって闘わなくてはいけない。それが当時の日本人の精神と合致し、少しずつ駅伝の知名度が上がり、マラソンを凌ぐほどの人気を博すようになったのだった」(「駅伝マン――日本を走ったイギリス人」、第4章「和をもって駅伝となす」より)と申しております。
う~ん、なるほどと思うのは私だけではないと・・・。とにかく私は選手が一生懸命走る姿を生で見て感動しました。そして同時になぜだかエコサンテ心得十か条が脳裏によぎっていることにも気づかされました。
何はともあれ今年も始まりましたので、日々を大切に過ごしたいと思っています。羽鳥元久が、年間日照時間(太陽が照った時間数)が都道府県の中でも上位にある群馬県前橋市からお届けしました。ではまた。
(追記)冬は「からっ風」(赤城おろしとも呼ばれています)が凄いのですが、今年の元旦は風のない穏やかな日でしたので選手も走りやすかったかと思います。
2019年ニューイヤ駅伝の結果はこちらをご覧ください。
プーさん・奥さんからの発信。 元旦~3泊4日・四国の旅
2019-01-08
こんにちは!京都のプーさんと奥さんです。
平成31年、明けましておめでとうございます。
私は奥さんと愛車で元旦早朝から出発し、まずは最初の目的地・四万十川を目指し3泊4日の旅に行って参りました。
写真は国生みの島として有名な淡路島の2019年初日の出。古事記・日本書紀の日本列島の国産みの神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島であると言われています。(ウィキペディア)
3泊4日の旅のコース。
元旦初日
京都市内の自宅を元旦早朝出発→淡路島→徳島→高知城→四万十川→1泊目の宿・ホテル星羅四万十
2日目
ホテル星羅四万十→土佐清水港・萬次郎少年像→足摺山金剛福寺(四国八十八か所・第三十八番札所)→足摺岬→2泊目の宿・足摺国際ホテル
3日目
足摺国際ホテル→竜串海岸→3泊目の宿・愛媛県松山の道後温泉ふなや。
4日目
帰りは道後温泉ふなや→瀬戸大橋→岡山→山陽自動車道→京都。
ではご覧くださいませ。
上の写真の解説
初日のコース、高知はりやま橋→高知城→四万十川沈下橋
橋播磨屋橋(はりまやばし)は「よさこい節」で「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい♪」と謡われています。
この一節は江戸時代末期に実際に起こったお坊さんと町娘の駆け落ち事件を基にしています。
ちなみに「よさこい」とは高知の方言で、「よさ」=夜 「こい(来い)」=いらっしゃい、よるにいらっしゃい、という意味です。
高知城へ行って来ました。ちょうど光の祭りの開催期間中でしたが、夜は宿で飲食を楽しみたかったので昼間行ってみました。奥さんが大きな電球をお触りして遊んでいました。夜の様子はこちらをご覧ください。
次の写真は四万十川に架かる沈下橋です。沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。四万十川に架かる「沈下橋」は、支流を含めると47本あるとのこと。
この沈下橋、高知県以外では、三重・徳島・大分・宮崎県に多く、その呼び名は、潜水橋、もぐり橋、潜没橋、潜流橋、沈み橋などと呼ばれているそうです。
下の写真の解説
1泊目の宿、ホテル星羅四万十の夕食
では本日の宿、ホテル星羅四万十に向かいます。
ホテルのロビに置かれた生け花が綺麗でしたので撮りました(下の写真)。
本日の夕食です。メニューは四点盛り、いくら、子持ち昆布、ブリとカブラのさしみ、四万十川の天然鮎、四万十川の天然うなぎ(別注品)、車海老と生麩、四万十牛のステーキ、ズワイ蟹の茶碗蒸しツガニ出し汁、鯛の吸い物カボス添え、大宮米、漬物、キャラメルケーキ、以上が夕食のメニューです。(下の写真)
下の写真の解説
2日目のコース
愛車で出発(写真は四万十川の沈下橋の上から撮ったものです)。
本日は土佐清水にある萬次郎少年像→足摺山金剛福寺(四国八十八箇所霊場の第三十八番札所)→足摺岬→2日目の宿・足摺国際ホテルです。
まずは萬次郎少年像、鉄筋コンクリート製の大波を背後にした中濱萬次郎少年と仲間たちの群像。
萬次郎の姿を奥さんも真似ています。私の真似る写真もありましたが、「割愛」しました。いや正確に言えば「省略」致しました。
次に金剛福寺ですが、場所は四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあります。もちろん開基は弘法大師・空海です。本堂前にある亀の石像「大師亀」は、弘法大師が海上の不動岩で修行した時に海亀の背中に乗って海を渡ったという伝説にちなんだものです。
願いを念じながらこの亀の頭を撫でると、幸運が訪れるといわれています(私の奥さんが撫でています・写真)。でも奥さん、亀の頭ではなく、亀のおしりを撫でています。
次は足摺岬です。逆光で撮ってしまったので、被写体は綺麗なのに見づらくなってしまいました。でも拡大してご覧ください。雰囲気はわかるかと思います。
次は本日の宿・足摺国際ホテルです。奥さんと夕食を楽しみます。
足摺国際ホテルの夕食、皿鉢料理、ウツボの天ぷら、サイコロステーキ、茶碗蒸し、釜飯、カツオのたたき、刺し身、ヒオウガイ、イカ海老の焼き物、吸い物、果物、アイスクリーム等々、アルコールは生ビールと土佐鶴の日本酒、満腹です。
夕食の写真は上のファイルを開いてご覧ください。
下の写真の解説
3日目のコース
本日泊まる宿がここから遠い場所(愛媛県松山市の道後温泉)なので、観光は竜串(たつくし)海岸だけにしました。宿は道後温泉ふなやです。
下の写真は足摺岬の日の出と竜串海岸です。圧倒的な自然の造形美を堪能することができます。激しい風や波の浸食作用によって【蜂の巣構造】と呼ばれる特徴的な岩肌をはじめ、大竹・小竹・らんま石・かぶと石・鯉の滝登りなどの名称で呼ばれる奇岩・奇勝が点在し、 地学教材の宝庫と言われています。
土佐清水市の竜串海岸をあとにし、愛媛松山の道後温泉まで来ました。お正月ということもあり賑やかでした。宿の夕食は下の写真(ふなや夕食の御献立)を拡大してご覧ください。
4日目のコース
行きは明石海峡大橋・大鳴門橋を利用しましたが、帰りは瀬戸大橋経由で帰りました。そして戻った翌々日の6日(日)には八坂神社へ初詣に行って参りました。
丹羽からの発信。 出雲詣り
2018-12-28
ミージュマーマの丹羽です。
先日、羽田7時40分発の飛行機で出雲詣り。
毎年恒例の日帰りです。9時過ぎからレンタカーを借りてお決まりのコースを参拝します。
神魂神社(かもすじんじゃ)→須佐神社(すさじんじゃ)→稲佐の浜(いなさのはま)→日御碕神社(ひのみざきじんじゃ)→出雲大社→出雲そば→出雲空港最終便→羽田空港→愛車で帰宅
上の写真6枚に関しての解説。
レンタカーで神魂神社参拝に来ました。毎回参拝時は貸切状態ですのでゆっくり参拝できます。本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝(ウィキペディア)。 主祭神名:伊邪那美命(いざなみのみこと) 、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)。
参拝を終え、次に向かったのは、須佐神社です。須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神とし、妻の稲田比売命(くしなだひめ)、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命(あじなづち・てなづち)を配祀する(ウィキペディア)。
本殿の真後ろに「須佐の大杉」という杉の大木があります。樹齢は約1200年といわれ、周囲が7m、高さが24mもあるとのこと。御神木がすごいエネルギーを出しています。
上の写真6枚に関しての解説。
須佐神社参拝を終え、レンタカーで綺麗な景色を眺めながら、神々が降り立つ稲佐の浜に来ました。稲佐の浜は、日本の渚100選にも数えられている美しい海浜です。
旧暦10月10日に八百萬の神がご降臨されるのは、稲佐の浜。ちなみに旧暦の10月は全国的には「神無月(かんなづき)」ですが、出雲では「神在月(かみありづき)」と言うそうです。
稲佐の浜はすぐ近くに無料駐車場がありますので、ゆっくり稲佐の浜での散歩が楽しめます。私の弟は心身を清めたいと、素足になり砂浜を歩いてました。(写真)
稲佐の浜を後にし、次の目的地、日御碕神社(ひのみざきじんじゃ)に向かいました。日御碕神社は島根半島の西端に位置していますので、近くには日本海に面した海岸線が見えますし、日本一高い日御碕灯台(地上から構造物の頂部まで 43.65メートル)もあります。(写真)
下の写真2枚に関しての解説。
日御碕神社(ひのみざきじんじゃ)にやってきました。出雲国風土記に「美佐伎社(みさきのやしろ)」と記される古社です。 神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」という上下二社からなり、両本社を総称して『日御碕神社』と呼びます。(出雲観光ガイドHP)
楼門から正面には下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」があります。こちらは神話の中で素盞嗚尊(すさのおのみこと)の姉とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。(下の左側の写真)
一方、楼門をくぐり右手階段の上の小高い所には「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(すさのおのみこと)が鎮座しています。(下の右側の写真)
日が昇る東の伊勢神宮、日が沈む西の日御碕神社。伊勢神宮が日本の昼を守る神社であり、日御碕神社は夜を守る神社です。
最後は出雲大社に。
縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社」。
出雲大社の読み方は『いずもたいしゃ』じゃなくて正式には『いづもおおやしろ』と読むのはご存知でしたでしょうか。参拝方法は二拝四拍手一拝です。
神楽殿の注連縄はいつ見ても迫力があります。長さ13.6m・重さ5.2tですって。(写真)
御本殿内にあるお社の一つを裏側から撮ってみました。
参拝後のお食事です。
出雲名物の出雲蕎麦は毎回 出雲大社の近くにあるお店「八雲」で頂いています。
寒い日でしたから空港に戻る前はぜんざいをいただきました。ゆっくり回ってゆっくり食べて最終便で帰宅です。毎年の恒例行事となりました。
では皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
エコサンテ液の良さをたぶん日本でいちばん良く知っているミージュマーマの丹羽でした。
なっちゃんからの発信。 母の年賀状用の写真
2018-12-25
こんにちは!山梨のなっちゃんです。薄っすらと雪景色になったので、母の年賀状用の写真撮影をしました。もちろん、なっちゃんも一緒です。
なかなかお会い出来ない方にも母の元気な様子をお伝えできる一枚が撮れました!
この場所は自宅から数十メートル。奥の林からは鹿が現れることも。
この辺り林の中を走る時には鹿には要注意です!道路に飛び出して来るのです!
車と衝突する鹿も珍しくありません。夕暮れ時はとくに慎重に運転します。先日も遭遇しました。でも、鹿も車に慣れているのか道路の真ん中に立ってジッとこちらを見ていました!先住者はこっちだよ!とでも言いたげに(笑)