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マリマリからの発信① 鹿島神宮参拝
2019-04-18
先週、東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)の一つである「鹿島神宮」(全国にある鹿島神社の総本社)へ参拝に行って来ました。
私の住む「ひたちなか市」から海岸線を南下し、車でおよそ1時間くらいです。
鹿島神宮は、皇居~明治神宮~富士山~伊勢神宮~吉野山~高野山~剣山~高千穂へと一直線に続く、レイライン(直線上に並ぶ聖地)の東端に位置します(写真参照)。
鹿島神宮の大鳥居、楼門、二郎杉、そして拝殿
石造りだった大鳥居は2011年3月11日の東日本大震災で倒壊したため、木造にして2014年6月1日竣工祭が行われました。
日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿(よしふさきょう)により奉納されました。
二郎杉は、境内で2番目に大きな杉なので、二郎杉と呼ばれています。高さ40m、樹齢は700年とみられています。(鹿島神宮HPから抜粋)
楼門をくぐるとすぐ右手には拝殿・本殿があります。拝殿の奥は幣殿、石の間と続き、一番奥に本殿があります。三棟とも重要文化財。江戸時代初期の元和5年(1619年)、江戸幕府第2代徳川秀忠の命により造営。
右の写真はさざれ石です。小さな石たちが自由に絡んで、気が遠くなるような長い時間をかけ、一つになったもの。
さざれ石は日本の国の成り立ちを表しているとも言います。(うん、うん)
さざれ石は、石灰石が長い年月の間に風雨で溶解し、粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結し次第に大きくなり、ついには巌となり、河川の浸食により地表に露出し、苔むしたもの、と石碑に書かれていました。
「君が代」の歌詞の中で使われています。歌はここをクリック
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで
「君が代」は、1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化された世界で最も短い国歌。
さざれ石からさらに進むと奥宮が・・・。
奥宮(重要文化財)下の写真
社殿は慶長10年(1605)に、徳川家康によって本宮の社殿として奉建されたが、元和5年(1619)に二代将軍秀忠によって現在の本宮社殿が奉建されたことにより、現在地に引移して奥宮社殿となりました。<案内板から>
要石
奥宮からさらに奥に進むと要石があります。地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。
写真を拡大するとわかりますが、地上に出ている部分はわずかです。
ですが地下奥深くまで伸びて、地震からこの地を守ってくれているのでしょうね。
下の右写真(大鯰の碑)は、ナマズの上に乗っている神様です。
要石にまつわる水戸黄門の話
水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。
わあ~すごい!驚きです。
奇妙な木
鹿島神宮内を歩いていたら奇妙な木を発見したので写真に撮りました。お猿さんが腰かけているような、木にしがみついているような奇妙な木です。笑っちゃいますね。写真を拡大してご覧ください。
格式高い鹿島神宮
境内を一通り廻ったら、パワーを頂いたような感じになりました。神社には大きく分けると2種類があり、日光東照宮のように、実在した偉人を神様として祀る神社と、神話から生まれた神様をお祀りする神社があります。
鹿島神宮は後者になり、また、そうした神話の神様を祀る神社の中でも、最初に「神宮」と呼ぶことを許されたのは、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3社だけとのこと。格式の高さでは別格なのですね。
マリマリ②もご覧ください。